2013年08月06日
喜界町夏まつりのルーツ
盛大に終わった夏まつり。
実は、この喜界町夏まつりも紆余曲折を乗り越え、先人達から綿々と受け継がれて来たことをご存知でしょうか。
今のような形で開催されるようになったのは、だいたい47年ぐらい前からのようです。
きかい広報の記事を見ると、こんなことがわかりました。
昭和42年、港まつりでボートレースを再開

昭和42年広報きかい8月号から。

昭和50年広報から。

昭和51年広報から。
この広報の表紙には、「戦前、本町には沖縄出身の漁業家が多く、この人々を中心に、海の安全と大漁を祝って毎年旧暦の5月5日節句の日に湾港と早町港で行われていた。
今では沖縄の人も少なく、エンジン付き小型船が利用されるようになり昔の面影は失われてきたが、商工会主催で8月に行うようになったこの舟こぎ競争を伝統行事として保存したいものだ。」
とあります。
その頃のボートレース会場は、現在の湾漁港が出来る前で海水浴場としても親しまれていました。
小学生の時、学校の授業として全校生徒がここまで来て海水浴をしてました(^O^)

こんな感じでした(^O^) 小学校卒業アルバムから(昭和42年)
その後、昭和48年に第1回商工会主催として続きます。
そして、昭和57年に、夏まつり協賛会として現在に引き継がれています。
それ以前は、納涼大会、船こぎ競争として前々から催されていたのが現在の形となったようです。
昭和60年から3日開催で、早町でも歌謡ショー、花火大会が開かれていました。
続けることの苦労、大変さを思うと本当に祭りの実行員の皆さんに頭が下がる思いです。
ありがとうございました。


(これは、あくまで自分の記憶と調べた結果です。違うところがあるかもしれません(。-_-。))
実は、この喜界町夏まつりも紆余曲折を乗り越え、先人達から綿々と受け継がれて来たことをご存知でしょうか。
今のような形で開催されるようになったのは、だいたい47年ぐらい前からのようです。
きかい広報の記事を見ると、こんなことがわかりました。
昭和42年、港まつりでボートレースを再開
昭和42年広報きかい8月号から。

昭和50年広報から。

昭和51年広報から。
この広報の表紙には、「戦前、本町には沖縄出身の漁業家が多く、この人々を中心に、海の安全と大漁を祝って毎年旧暦の5月5日節句の日に湾港と早町港で行われていた。
今では沖縄の人も少なく、エンジン付き小型船が利用されるようになり昔の面影は失われてきたが、商工会主催で8月に行うようになったこの舟こぎ競争を伝統行事として保存したいものだ。」
とあります。
その頃のボートレース会場は、現在の湾漁港が出来る前で海水浴場としても親しまれていました。
小学生の時、学校の授業として全校生徒がここまで来て海水浴をしてました(^O^)

こんな感じでした(^O^) 小学校卒業アルバムから(昭和42年)
その後、昭和48年に第1回商工会主催として続きます。
そして、昭和57年に、夏まつり協賛会として現在に引き継がれています。
それ以前は、納涼大会、船こぎ競争として前々から催されていたのが現在の形となったようです。
昭和60年から3日開催で、早町でも歌謡ショー、花火大会が開かれていました。
続けることの苦労、大変さを思うと本当に祭りの実行員の皆さんに頭が下がる思いです。
ありがとうございました。

(これは、あくまで自分の記憶と調べた結果です。違うところがあるかもしれません(。-_-。))